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夜歴があって、精神科通院歴があって、発達障害があって、聴覚処理障害があって、自傷痕があって、看護師免許があって、夢がなくて、金がなくて、自尊感情がなくて、アテがなくて、ツテもなくて、同性愛で、処女を失って、童貞も失って、恥じらいも、貞操観念も失って、人を信じる心も失って、未来がなくて、嘘偽りだらけの人生で、負けて負けて、泣けて泣けて、もう最低にダメでも。(※特定防止のため記事の内容にはフェイクを混ぜています。また他人の話に関しては複数人の話を織り交ぜて大部分を改変しています。)

杉田水脈議員に抗議する街頭アクション、私は複雑な気持ちで遠くからこっそりひっそり参加していました。

 先週に行われた自民党本部前抗議に続き、2018年8月5日には全国各地で杉田水脈議員に抗議する街頭アクションが行われた。

東京や大阪といった大都市に限らず、福岡や宝塚市四日市市などでも行われ各地がレインボーに染まった。

名古屋では明日6日に市民有志による抗議街宣が行われるとのこと。

 

 わたしの住んでいる地域でもやっていたので、複雑な思いがありながらも遠くからこっそりひっそり参加してきました。

 

 というのも、今回は杉田議員の「生産性」という言葉がクローズアップされて大問題になっているけど、まだまだ理解の遅れている日本、この件がなくても、他の政治家の誰かがLGBTの人権を軽視する発言して大々的に叩かれる事になってたかもしれない。

「同性愛は趣味みたいなもの」と某インターネット番組で発言した衆院議員、「同性愛者は異常動物」とツイートした海老名の市議、いたじゃないですか。

21世紀にもなって、産めよ増やせよといった趣旨の伝統的な家族観を押し付ける発言をして世間からバッシング喰らった政治家さんなんて、数多度いたじゃないですか。

杉田議員はストレートに物を書いたから集中砲火を浴びているけれど、本音はLGBTの人権なんぞ知らんがなって思っている政治家さんは少なくないと思うんですよ。

 

だから、杉田議員一人に矛先を向けるやり方をする人には疑問がある。

「杉田は辞めろ」「杉田は辞めろ」とコールしたり、そういうこと書かれたプラカード掲げたりして猛攻撃して、ハイ杉田議員はやめました、めでたしめでたしハイ解決!ってなるかといえば違うと思う。

あと、これはSNSの画像や動画で見たのだけど、印刷された杉田議員の顔写真にバッテンをつけたプラカードを掲げている人がいたのだけど、幾ら何でもこれはあかんやろ。杉田議員の人の尊厳を踏みにじっていると思う。思想は違ってもこういうことはしたらあかん。LGBTの人権を主張する人らが、別の誰かの人権を踏み躙ってどうするねん、って言いたくなりました。

 

それともう一つ引っかかる点。

街頭アクションを目にする多くは、たまたま通りがかった大衆。

 身近にカミングアウトしている人がいなくて、性的マイノリティーといえば、テレビの中のオネエ口調のオカマ、センス抜群のオシャレで話上手な二丁目に集うゲイ、感動ポルノっぽく編集された性同一性障害の人の泣ける話、いまだに笑いのネタで使われることが度々あるホモネタ、といったステレオタイプのイメージしかなくて自分が偏見を持っているという自覚のない人々もまだ少なくないだろう。

 政治家だって、「同性愛は趣味みたいなもの」という時代錯誤も甚だしい発言を平気でしているぐらいだから。

 そういった自覚すらない人々を前に、差別をするな!差別をするな!と声高にコールしても、見ている方からすれば「???」って感じになるんじゃないか。

LBGTが被害的になっている集団、腫れ物扱いせねばならない集団というイメージがついてしまうんじゃないか。

 

以上のように引っかかる点はいくつかある。

LGBT当事者の中でも賛否が分かれていて、「過激なことしてくれるなよ」「多数派に紛れて社会でひっそり生きているのだから、LGBTの存在を目立たせるようなことはしてくれるな」という人もいた。

それでも今回の件、私は何もアクションがないのはもっと怖いと思う。

沈黙していたら少数派の人権はないものにされてしまう。

LGBTに限らず、働けないとか子供を産めないといった「生産性がない」とされる人々の人権が軽視されることに繋がりかねない。

 

何かしらのアクションを起こしていくのって、ものすごく大事なことだと思う。

そうでないと少数派の声はないものにされて、間違ったことが曲がり通って行ってしまう。

極端な例だと、ナチスの優生思想による大虐殺だってそうだったじゃないですか。

 

 前に出てスピーチをしたり、レインボーフラッグを掲げたり、表立ったことは私にはできない。

 レインボーの集団に混ざるのも、プラカードを持った人の隣にいるのも怖い。

わたしは同性愛をカミングアウトしているのはごく少数の親しい人のみで、ふだんは異性に恋愛感情を抱ける多数派を演じている。元カノの話を元彼と言い換えてしたり、好きな男性のタイプをてきとうにでっち上げて話すなど、細々した嘘を重ねている。

 誰かに見られたり写真を撮られてSNSに上げられたりなどして、職場の人だったりさほど関係の深くない人にLGBT当事者と思われるのは怖い。

 例えば私の仕事は制服があるのだけど、レズビアンであることがバレてしまったら、同僚たちとたわいもない雑談に花を咲かせながら更衣室を使うことがしづらくなるんじゃないか、会社の慰安旅行で私と同室になるのを内心嫌がられるんじゃないか、といった気がかりがある。

 

 堂々を姿あらわして立ち向かうことはできないし、街頭アクションの一部の主張ややり方には自分の中で引っかかる部分もある。

でも沈黙はもっと怖い。

LGBTに限らず、人種、国籍、部落、障害、職業、あらゆる差別は声を上げる人がいたから少しずつ変わってきた。

 

だから今回の街宣、がっつり参加はできないけれど、遠くから少しだけ参加することを選びました。

人だかりのすみっこで、街宣を見ている人なのかそれとも誰かと待ち合わせ中の人なのか微妙な場所に立って、こっそりひっそり応援してきました。

 

 「差別をするな」「杉田はやめろ」「人権無視する議員はいらない」といったコールには加わらなかったけど、「This is PRIDE!」のコールだけ小さく加わってきました。

 

参加人数の頭数の一人にはなれてなかったかもだけど、0,5人分くらいには貢献できていたらいいなと思う。

私たちはここにいる、生産性があろうとなかろうと存在している、このことは黙っていてはいけないと思う。