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夜歴があって、精神科通院歴があって、発達障害があって、聴覚処理障害があって、自傷痕があって、看護師免許があって、夢がなくて、金がなくて、自尊感情がなくて、アテがなくて、ツテもなくて、同性愛で、処女を失って、童貞も失って、恥じらいも、貞操観念も失って、人を信じる心も失って、未来がなくて、嘘偽りだらけの人生で、負けて負けて、泣けて泣けて、もう最低にダメでも。(※特定防止のため記事の内容にはフェイクを混ぜています。また他人の話に関しては複数人の話を織り交ぜて大部分を改変しています。)

杉田水脈議員の「LGBTには生産性がない」という主張に対して、レズビアンでもあり発達障害でもある私が思うこと

今回「生産性」というパワーワードで大炎上した杉田水脈議員の記事、遅ればせながら全文を読んだ。

記事では、子供を作らず生産性がないことを根拠に、同性カップルの法整備に税金を投入するのはいかがなものかという主張がなされている。

 

また杉田議員が過去に出演した番組では、LGBTの人はそうでない人と比べて自殺率が6倍と高いことを笑いながら話す場面もあった。

 

杉田議員の考えに対して、「LGBTだって納税者の一人だ。」とか、「杉田議員は子供を一人しか産んでへんやん。生産性、生産性っていうなら少なくとも二人は産んでから言えや。」っていう抗議もちらちらと見聞きしたけれど、こういう考え方はナンセンスだと私は思う。

今回の件に関して、生産性を土台に考えられることがあってはならない。

万が一生産性の優劣で、政治の優先順位がつけられることが現実になってしまえば、ギスギスした世の中になってしまうだろう。

こういった考え方が正当化されてしまうと、障害者施設「やまゆり園」の入所者19名の命を奪った植村被告の主張も正義となってしまう。

 

杉田議員は、日本はすでにLGBTに寛容な社会であり、さらに同性カップルの法整備に税金を費やすというのは、LGBT支援の度が過ぎると主張されている。

確かに日本では、同性愛が禁止されたりだとか同性愛者が迫害されたりだとか、そういった目立つ物騒なことはない。

それでも静かに、性的マイノリティーの生きづらさは存在している。

LGBTの自殺率の高さがそれを裏付けてはいないか。

 

ここ数年は啓発が進み、カミングアウトも少しはしやすくなってはきたが、いまだに性的マイノリティーの多くが日々の生活で嘘偽りを強いられてきている。

私は家族に同性愛を隠し通しているし、まわりには恋人を彼氏と言い換えて話をしている。

先人たちがここまで戦ってこられたおかげで、また今も声を上げる方が大勢いるおかげで、少しずつ日本でも啓発が進み、これからの若い世代を中心に偏見は少なくなってきているし、数十年後にはパートナーが同性であることを打ち明けたところでいちいち驚かれない世の中になっているだろう。

今回の杉田議員の発言に関して、LGBT当事者のみならず多くの一般市民も声を上げているが、それでも日本社会に深く根付いた、異性愛が当たり前だとか同性愛は異常といった風潮は今すぐに消せるものではない。

 

だからこそハード面の整備が重要だ。

一度の法整備で、既存の婚姻制度に当てはまらない、性的マイノリティーのカップルが抱える老後や相続などの法律問題が解決する。

 

いまだに、同性パートナーが亡くなったときに相手の遺族に葬儀への参加を拒まれたとか、パートナーに医療が必要になったときに病院で家族扱いされず、手術の同意書にサインできないとか集中治療室に入れてもらえないといったことが起こっている。

ソフト面がぐらぐらだからこそ、権利が守られるためにはハード面が一層必要となってくる。

  

私は、同性愛者でもあり発達障害者でもある。

優生思想の視点から見れば、生産性の低い人間だ。

無理に男性と結婚する気はさらさらないし、仮に自分がいわゆる多数派の、異性を愛せる人間だったとしても、発達障害が遺伝する可能性があることから子供を産まない選択肢を選んでいただろう。

 

10年前、私が中学生だった頃、まだ性的マイノリティーに関する啓発が遅れていた頃、同じクラスの女の子を好きになった。

同性に惹かれる自分に戸惑い、これは異常だと悩み、どうにか社会に紛れようと男の子との交際をしていた時期もある。

相手は穏やかな性格でこざっぱりとした青年だったけれど、私にとっては男性とのスキンシップには強く違和感があり、受け入れることができず、相手に対する罪悪感が残った。

選んで同性愛者になったわけではない。

同性カップルの法的保障がなく、カミングアウトもまだまだ気楽にできるとは言いがたいこのご時世ではあるが、私は自分の心を押し殺してまで異性と結婚する気はない。

少なくとも自分の場合はそうだ。

私は女に生まれて、女が好きだ。

 

また発達障害に関して、わたしは税金面で非常に世話になっている。

健常者に比べて脳の特定の神経伝達物質が少なく、それを補うために毎日の服薬が欠かせない。その薬代は税金でまかなってもらっている。

障害者手帳を持っており、市民税も免除されているし、割引価格で公共交通機関を利用させていただいている。

昨年は障害者向けの就労訓練にも世話になったし、現在は一般企業の障害者枠で働いており、これで合理的配慮をしてねという助成金が数十万、市から企業に支払われている。

障害によって不便なこともチマチマとあるけれど、わたしは制度面で確かに守られている。

日々の服薬と障害者枠のおかげで社会参加できている。

障害者向けの社会資源を利用するようになってから、先行きの見えない将来に不安を覚えることが随分と減った。

 

人々の生きづらさを平等に解消することは、当たり前の人権が尊重される社会の基盤となる。

 

誰もが人と違う部分を持っているし、何かしらの社会的なマイノリティーになる可能性がある。

明日にでも、交通事故に遭って寝たきりの障害者になるかもしれない。

病気で子供を作れない身体であることが分かるかもしれない。

病気や怪我で働くことが出来なくなって生活保護の世話になるかもしれない。

自分の大切な人から、パートナーが同性であることを打ち明けられるかもしれない。

これからの人生で、同性の人に惹かれることが起こるかもしれない。

多数派でいられる立場は脆い。

思いがけないことで崩れていく。

 

誰も心穏やかに生きられる世の中のためにも、杉田議員自身のためにも、「生産性」によって政治の優先順位がつけられることはあってはならない。

 

わたしは同性愛で障害者だけど、生産性が有ろうが無かろうがこれからもこの世に存在し続ける。

 

《参考》

新潮45 2018年08月号収録 57-60杉田水脈著 『「LGBT」支援の度が過ぎる』 [雑誌]新潮社