yu-1513の日記

24歳、軽度ADHDと聴覚処理障害。念のため記事の内容にはフェイクを入れてますが悪しからず。

レズビアンの友人が男の人と結婚した話

 10年前、中学生だった私は気づいたら同性のクラスメイトに片思いをしていた。まだ今ほどに「LGBT」「性的マイノリティ」という存在が世間に認知されていなかった時代。当時10代だった私は同性に惹かれてしまう自分に悩んでいた。

 当時は同性愛といえば、テレビの中の別世界の話か、AVや創作ジャンルの一種ぐらいのイメージしかなく、同性を好きになるのはおかしいことだという認識が自分の中であった。これは誰にも口外できないことだ、隠し通さねばならないと確信していた。

 10代後半の頃から、なんとか世間の「普通」の枠に当てはまろうと、無理をして男性とお付き合いをしたことが何度かあった。しかし恋愛対象が女性である私にとって、男性とお付き合いをしているときは何かを演じている感覚が抜けなかった。デートやスキンシップも義務感から行っている感覚が抜けなくて、相手の男性にも心苦しい気持ちで結局長続きはしなかった。 

 そんなことを繰り返しに自己嫌悪して、もう自分に正直に生きようと決めた二十歳の頃、仮名でレズビアンであることをオープンにしたSNSを始めたり、レズビアンの女性が集まるバーやイベントに行ったりするようになった。そこで何人かのレズビアンの友人ができた。

 その友人の一人にFさんがいる。Fさんとは5年くらいの付き合いになる友人で、誰かを好きになったり恋人ができたり別れたり…というのを互いに見守ってきた。

 一年半ほど前、日曜日のカフェでFさんが宣言した。

「レズとして生きていく自信をなくした。私、がちで婚活はじめる。」

 Fさんはそのとき、3年付き合って同棲もしていた恋人と、相手の浮気が原因で別れたばかりだった。

「どんなにタイプでノリの合う相手でも、3年も経てば気持ちが冷めてしまうんだなって知って。女同士だと結婚という法的な繋がりも社会保障もなくて、子供もいない状況で、30代とかでぽーんと放り出されたとき、私は一人で生きていける自信がない。」と話していた。

 

 今は、少しずつだけど性的マイノリティを取り巻く状況は明るいものになりつつある。まだ条例レベルだけど、同性パートナーを家族と同様に扱う自治体も出てきた。この段階まで辿り着くのに、先人たちは一体どれだけ闘ってきたのだろう。それでもまだまだ、性的マイノリティが生きやすい社会には遠い。

 左利きの人やAB型の人が一定の割合でいるのと同様に、同性が恋愛対象になる人は世の中に一定数存在にも関わらず、パートナーが同性だと人に気軽に言える世の中ではない。普段は隠している人のほうが圧倒的に多い。私は今でも信頼できる友人以外には、恋人が同性であることは隠している。仕事関係の人には口が裂けても言えない。両親にも言えていない。普段は同性が恋愛対象と言えず、何気ない日常会話で嘘をつくことが当たり前になっている。

 同性のパートナーと人生をともに歩むことになっても社会的保障がない。

 例えば同性カップルの場合、もし相手の不貞行為によって別れるとなっても男女の夫婦の離婚のように慰謝料請求の裁判をできる保障がない。DVが起こっても世間に同性愛者とバレることを恐れて支援に繋がりにくいなどの問題もあるという。また病院の手術の同意手続きなどでも同性パートナーは認められない場合が多い。

 

 「こういう壁に当たったとき、これからのゲイやレズビアンのために今の社会がおかしいって声をあげる人が必要なんよな。でも私はそこまで頑張れへんから、社会に紛れることを選んでしまう。」とFさんは話していた。

 Fさんの話を聞いていて切なくなってきて、気づいたら少し泣けていた。まだまだ社会に紛れるために自分を押し殺さねばならない、その現実がもどかしかったからだ。

 それでもFさんにとっては男性と関係を持つこと以上に、社会に紛れられない辛さや法的な繋がりがない不安の方が大きいのだから、Fさんの決めた道は否定できない。

 

 

 その後Fさんは、付き合って一年近くになる男性と入籍した。

「信頼できて尊敬できる人と結婚できたから上手くやっていきたい。いまだに好きかって聞かれると微妙やけど…。向こうはめっちゃ好いてくれてるけど…。これまで女と付き合っていた頃のような好き好き大好きって感覚はなくても、落ち着いた常識人と穏やかな結婚生活、可愛い子ども、そんな生活を送りたい。」と言っていた。

 Fさんがたくさん悩んで選んだ道なのだから、わたしはただ彼女の行く先が明るいものであることを願いたい。

 

 レズビアンの界隈では適齢期をきっかけに、レズビアン界隈から離れて一般男性と結婚する女性が少なくない。最近レズビアンのバーやイベントで見かけなくなった顔見知りがいると思ったら「あの子、男と結婚したらしいよ。」と噂が入ってくることも度々あった。結婚したい理由は「親を安心させたい」「子どもがほしい」「社会的に安定したい」など様々らしい。

 

 私の場合は、同性愛者であること以前にそもそも発達障害ゆえに社会適合を半分諦めており、また障害が遺伝する可能性があることから子どもを産むつもりも全くなく、最悪一人で生きていくと20代前半にして既に腹をくくっている。

 けれど、そういった事情がなかったら、私も「普通」の枠にはまることに囚われてFさんと同じように一般男性との結婚を目指していたかもしれない。

 

 そもそも普通って何。まだまだ多数派でいないと世間からはみ出てしまうこの世の中。

誰もが人と違うところを持っているし、生きていたら何かしらのマイノリティになる可能性がある。

これからますます生き方が多様化していくであろうこの世の中、性的少数者の人が生きやすい社会は、誰もが生きやすい社会に繋がってくると思う。

 

 今は過度期で今の子どもたちが大人になる頃にはもう少し生きやすい社会に近づいていると思う。

セクシュアリティに限らず、人はみんな違うのだから個人個人が尊重される世の中であるべきだと思う。

偏見を前に自分らしさを殺して生きている人たちが未だに多くいる。

多様性豊かな社会こそが当たり前であってほしいし、私も微力ながらもそのような社会を実現する一助でありたい。

発達障害を抱えた私が看護師をやめて性風俗業界に戻った話

わたしは目立って落ち着きのない子供だった。

 授業中にじっと座っていられず突然立って歩き出したり、喋ってはいけない場面でも黙っていられなかったり、後先考えない衝動的な行動が多く怪我が絶えなかったりなど、明らかに発達障害のひとつであるADHD注意欠陥多動性障害)の特性があった。

 また、わたしは耳から入ってくる情報に弱く、聞き間違いや聞き落としが異常に多かった。これはのちに、発達障害に合併することが多い聴覚情報処理障害が原因と分かることになる。

 高校卒業と同時に田舎を出て、比較的都市部にある看護系大学に進学した。

大学1年生の夏、学費や生活費等の事情から止むを得ず性風俗の世界に飛び込んだ。それから看護学生をしながら性風俗業で働く生活が続いた。

大学4年生の終わり、無事に卒業も決まって看護師の国家試験にも合格し、もう二度とこの世界には戻るまいという気持ちで性風俗店をやめた。

社会人1年目、精神科病院に入職し閉鎖病棟に配属された。発達障害を抱えながらも健常者のフリし看護師として働く日々がはじまった。

 大人になるにつれて多動性や衝動性はだいぶ落ち着いてきた現在の私は、発達障害といってもグレーゾーンから軽度の部類だと思う。しかし聴覚情報処理障害は残っており、いまだ仕事に支障を感じている。

看護師として働くことに何度も限界を感じた。

音はちゃんと聞こえているのに、内容が瞬時に把握できない。急に言われた言葉は一部しか聞き取れないのが大半だし、まわりに雑音が多いと人の声が雑音と混ざって呪文に聴こえてくる。

全身全霊で集中して聴きとろうとしても聞き落とし、聞き間違いがぽろぽろ出てくる。さらにワーキングメモリが小さく聞き取ったことをメモする前に忘れてしまう。

急性期の精神症状の重い患者さんも多く、暴力や身体拘束が日常のドタバタした雰囲気の病棟で、何度も聞き返すとあからさまに苛立った顔をされることや怒鳴られることも多かった。

聴き取れない悔しさ、それを周りから「聞く気ある?」と誤解される悔しさ。

慌ただしい現場でイライラされるのは仕方ないと思う。わたしもせっかちな性分なので、イライラする気持ちはとてもわかる。元職場の人たちを責める気持ちにはなれない。

 

 最近、知人の言葉ですごく共感した言葉がある。

「職場が医療現場だったら、発達障害とか精神障害に理解があるのでは?と思われがちだけど、実際は発達障害精神障害についての知識は多少あれど、『自分たちとは違う』と一線を引いて接するから、一般社会よりも風当たりは厳しい。」

すべての医療現場がそうとは思わないが、少なくとも自分のいた職場もそんな雰囲気だった。

 

 それに加えて精神科看護の難しさが、仕事の辛さに拍車をかけた。患者さんからの暴言や暴力。自傷行為、ときに自殺未遂。

 患者の自傷行為が止まないとき、死にたいという訴えを聴き続けているときなどは、感情的に持っていかれそうになることが何度もあった。

少しずつ自分がおかしくなっていった。気づいたらタバコがやめられなくなっていった。これまで食べることが大好きだったのに、ごはんを食べる作業自体が段々面倒臭くなっていった。息苦しい感覚によく襲われた。

 社会人2年目の春、これ以上ここにいたら自分は壊れると思い、ようやく退職に至った。退職を考え出してから、退職に至るまでに半年以上かかった。

 これまで発達障害を抱えながらも、並々ならぬ努力によって社会人1年目の終わりまでは何とか、不登校や浪人や留年や中退をすることなく少なくとも経歴上は敷かれたレールに沿った人生をストレートにやってきたので、そこから外れるのが不安だったからだ。

自分自身のしょうもないプライドもあったと思う。でも実際にやめてみたら、どうもなかった。むしろもっと早く辞めていたら良かった。

これ以上あの状況が続いていたら、自分も精神疾患を発症していたかもしれない。

 

 そして看護師を辞めた24歳の春、もう二度と戻るまいと誓って辞めたはずの性風俗業界に戻ってしまった。再び夜の世界に戻ることに関しては、色々な葛藤があったけれど、その辺は長くなるので省略する。

一度昼職を経験してから夜の世界に戻ってみたら、学生時代には気づかなかった夜の世界の優しさに気づくことができた。そしてその優しさが心にしみた。

 

 夜の世界には、働く人々が何かしらの事情を抱えているかもしれないという暗黙の了解がある。

 夜の世界には色んな人がいる。シングルマザーもいれば、かつての自分のように学費や生活費のために性風俗で働かざるを得ない大学生。借金を抱えた人や、メンタルヘルスが不安定でフルタイムでの就労が難しい人。整形依存やホストクラブ依存。また黒服として働く男性スタッフにも訳ありな人が少なからずいた。

 真夏でも常に長袖を着ている女の子や、左手首にいつも大きな肌色の絆創膏が貼られている女の子がいても、誰もそれについて触れない優しさがあった。

 

 性風俗で働く学生時代を経て、看護師という昼の世界の仕事に就いてから、ギャップを感じたことがある。

 私の配属された病棟には、自分の親くらいの年代の職員も何人かいた。自分の親世代の職員と休憩が一緒になったとき、「実家には帰っているの」「一人娘なのに都会に出てきて両親は心配しているんじゃないの」など家族に関する話題を振られることが度々あった。当たり前のように、「平凡な、人並みに幸せな家庭で生まれ育った」という前提で接されることに違和感を抱いた。昼の世界の人としては、新人として入職したばかりの私が職場に馴染みやすいように、共通の話題を探してくれていたのだと思う。

 しかし自分がつい最近までいた夜の世界では、目の前の人がどんな事情を抱えているのか分からない中、家族という繊細な話題に初対面で触れるなど到底考えられないことだっただけにギャップを感じた。

 

  また、夜の世界では頑張るほどに結果がついてくるのが、怖くもあり面白かった。風俗嬢の仕事は、完全歩合制で個人事業主という面が強い。

 風俗店に採用されれば誰でもある程度は稼げるというわけではなく、お店が任せてくれたお客様を自力でリピーターにしていかないと稼ぎ続けることは難しい。接客態度がいまいちだったり、太ったり激ヤセしたりして容姿が落ちたりすると新規客すらつけてもらえなくなり最終的に稼ぎはゼロになる。

 完全個人プレーの仕事で、店のルールの範囲内であれば自由に接客できるので、発達障害の自分にも比較的適性があったように思う。売上さえしっかり出していれば、店の人から細かいことは言われなかった。

 また、自分のマイナスポイントだと思っていた部分は案外プラスになった。私は耳の聞こえが人より悪く、特に男性の低音域の声は聞き取りにくい。接客中に会話を聞き取るために男性客に顔を近づけがちになり、その結果客との密着度が自然と増したり、また積極的な嬢という印象を与えたりするなど、思わぬ面でプラスになった。

 またADHDらしい性格を「ずっと一緒にいても飽きない」と気に入ってくれたり面白がったりして通ってくれる物好きな男性も一定数いた。

  頑張った分稼げるのが面白くて、店の人から評価されたくて本指名(一度入った嬢を再度指名すること)の数をもっともっと増やしたくて仕事にのめり込んでいった。

 たとえば、どんなに気持ち悪い客も最愛の人だと思って抱く。目の前の男を「愛おしい」「大好き」と念じながら見つめ触れていく。時間一杯、客に目一杯気持ちよくなっていただくことを意識する。とにかく全力でサービスをする。客から好きになってもらうために、まずは自分が客のことを好きになる努力をする。客ノートを作り、プレイの傾向や好みなどの情報を記録していき次回の接客に生かす。客の誕生日や趣味、ちょっとした雑談の内容なども書き留めて覚えるようにする。店用ブログのマメな更新、写メのアップを行い、新規客によるネット指名を増やしたりリピーターの再訪を促す。

 また、他の嬢から嫌われがちな客、たとえば不潔・臭すぎる・説教好き・終始無言・生本番強要・上から目線、など難ありで塩対応な接客をされがちな客ほど、至極丁寧に接客すればハマってくれて手堅いリピーターになってくれる傾向にあるので、一層力を入れて接客していた。周りからは商魂の強さに半ば呆れられることもあったが気にならなかった。

 私は、平凡な容貌だし中身も不器用な人間だけど、これだけ真剣にやっていたら自分のようなパッとしない嬢でもそこそこのリピーターがついた。

 わたしは自己肯定感が低い人間だけど、一度接客したお客様がリピーターとして再び指名してくれるたびに、大勢いる嬢の中からまた自分を選んでくれたのが嬉しくて、自分が認められたような気がして、その感覚は、欠如した自己肯定感を一時的にでも満たしてくれるものがあった。自分の個性や能力を活かせているという充実感もあった。

 精神科ナースをしていたころは心を擦り減らして患者さんと関わっても結果の見えないことも多く、無力感が募ったりやるせない気持ちになったりすることが多くあった。一方で、風俗の仕事は自分の心がすり減った分、誰かの心が豊かになる。そう考えると報われる思いがあった。

 

 19歳で初めてこの業界に飛び込んで、気づいたら5年。最初は心がおかしくなりそうだった。人には言えないことをされ、剥き出しになった人間の生々しい欲望に嫌悪感しかなかった。汚くて、気持ち悪くて、耐え難かった。

 しかし慣れというのは恐ろしいもので、気づいたら何も思わなくなっていた。

 経験を重ねたことによって、ちょっとやそっとじゃ傷つかなくなったし、昔よりはずっとお客さんに思いやりを持って関われるようになったと思う。あまり人に言える商売じゃないけれど今はやりがいも感じている。

 

 また、この業界に入って少し意外だったことがある。風俗嬢の女の子は優しい子が多いということだ。私はこの業界で働く前は、もっと無愛想だったり、態度の悪い人が多いのかと思ってたけど、全然そんなことなかった。特に指名ランキング上位をキープし続けている人は、人柄の良さが伝わってきたり気遣いの出来る素敵な女性ばかりだった。

性風俗で働く女性には、メンタルヘルス的な問題を抱えた人も少なくない。精神的な不安定さと、人の気持ちを敏感に推し量る繊細さは紙一重なのかもしれない。

 

 夜の世界は優しかった。

 今わたしにとって夜の世界は、数少ない居場所、いやもしかしたら唯一かもしれない居場所である。どんな人も包み込むネオン街の情緒が好きだ。

 

  しかし夜の世界には保証がない。私のかつての同級生たちは、看護師や保健師助産師として働いていて、彼女たちがいま費やしている時間は、技術や経験といった将来の貯金となっている。

 一方で保証のない夜の世界で費やす時間は、若さの浪費だ。そろそろ自分から、夜の世界に染まった人特有の崩れた雰囲気が出てきているんじゃないかと不安になることがある。いつまでも続けられる商売ではない。若さという価値がなくなっても残るものがほしい。発達障害者であっても人に言える仕事で社会の歯車となりたい。そう願いながらも現実は厳しく、今夜も私は歓楽街の雑踏に紛れている。

北海道で相次いだ新人看護師の自殺報道が他人事と思えなかった。

新人看護師の自殺がまた起こった。昨日のYahooニュースの記事を読んでいて、やるせない気持ちでいっぱいになった。

 

今回報道された看護師になってわずか半年で命を絶った村山譲さん。2012年、過重労働による鬱病で命を絶った札幌の新人看護師の杉本綾さん。2013年にも札幌で吃音のある34歳男性看護師が、就職してわずか4ヶ月で自ら命を絶っている。 

人を救うはずの看護師が、心を壊して自らの命を絶っている。

 

一時期自殺を考えていた新人看護師として他人事と思えなかったので、今回の件について思うことを書かせてほしい。

 

 日本の自殺者は、統計では年間3万人って出ているけれど、実際の数はもっと多いと推測されている。なぜなら遺書がなければ自殺と認められず変死扱いになってしまうからだ。日本には年間15万人ほどの変死者がいる。さらに自殺未遂者は、統計上の自殺者の少なくとも10倍はいると言われている。

 

 報道されている新人看護師の自殺は実は氷山の一角で、報道されてない自殺がまだあったのではないか。自殺未遂をした看護師、まさに死にたいと思い詰めている看護師はもっといるのではないだろうか。

 

 全国の新人看護師の置かれているストレスフルな環境については、私の尊敬している依里楓さんが大変分かりやすく書いておられるのでそちらを参照していただけたらなと思う。(依里楓:新人看護師へただ1つのアドバイス - プロセスレコード http://erikaede020.hatenablog.com/entry/2016/05/18/133618

 

 私は昨年の春、看護師として社会人一年目を迎えた。精神科病院に入職し、急性期から慢性期まで幅広い病期の方が入院する閉鎖病棟に配属された。

 新卒にして精神科というマイナーな分野を選んだのは、元々の精神科分野への興味もあったけれど、正直なところ自分自身が軽度発達障害と聴覚処理障害を抱えており一般的な病棟でやっていくのは厳しいと学生時代の実習を通して感じていたからだ。

まず聴診器が使いこなせない。音の質や音の高低がよく分からない。口頭指示が飛び交う現場で、どれだけ気をつけていても聞き漏らしが出てくる。 

  閉鎖病棟ということで症状の重い人が多くドタバタした雰囲気の病棟で、毎日必死だった。何度怒鳴られたか数え切れない。健常者らに紛れて就労することに何度も限界を感じた。毎日、健常者のコスプレと白衣の天使のコスプレで息が詰まりそうだった。

 ただでさえ離職率の高い看護業界、あれだけの長い苦しい実習を乗り越えて看護師免許を取ったにも関わらず健常者ですら多くが離職していくこの業界に、障害を抱えながら日々やっとの思いでしがみついていたのだから相当な精神的ストレスを抱えていた。

 

 11月頃には気づいたら、自殺をすることが人生の選択肢の一つとして自分の中で当たり前に存在していた。

 仕事柄、自殺未遂して入院してきた人に対応したり、希死念慮を訴える患者と向き合うことは日常だった。

またそのころプライベートでも知人の自殺があった。その亡くなった知人とは一度共通の友人を交えてご飯に行ったことがある。身近な人の自殺はこれが私にとって初めてだった。

 そんな環境の中で感覚は麻痺してゆき、自ら命を絶つ、という選択肢は自分の中で特別なことではなくなっていた。

 

 そのころは死ぬとしたらどうやって死のう、と日常的に考えていた。

界面活性剤を見てはこれを吸って静脈注射したら簡単に死ねるんじゃない?と思ったり。薄手のシーツを見ては破いて紐代わりにして首締められそう、と思ったり。建物の柱を見て「ここ首吊るのに丁度よさそう」と思ったり。

 このころは少々危うくて、ふと気を抜いた瞬間に、特急電車の向かってくる線路に飛び込んでいても不思議でなかった。

 深夜の人影無い川を渡っているとき、橋の真ん中あたりで身を投げていても不思議でなかったと思う。

 我ながら当時の自分が恐ろしい。

 結局自殺しなかった理由としては、死にたさよりも、まだ生きようと思える理由の方が少しだけ勝っていたからだ。

 まだ若く健康でやり直そうと思えば間に合う。生きていたら好きな音楽も聞けるし美味しいものも食べられる。季節の移ろいを感じることもできる。会いたい人がいる。退院まで見届けたい患者がいる。もし自殺したら家族は悲しむかもしれない。

 まだ冷静に物事を考えられる余地があったのが本当に幸いだった。

 人は追い詰められると、視野が狭くなっていきコントロールがきかなくなり、辞めるとか一旦休むということが考えられなくなっていくからだ。

 

 いま、生きていて良かったと心の底から思う。ふとした瞬間に、ああ、あのときウッカリ死ななくて良かったなあとしみじみ思う。

 

 世の中の死にたいくらいに辛い状況の人に伝えたいのは、どうか死を考えるくらいなら仕事なんて辞めたらいい、ということ。その病院だけが全てじゃないし看護だけが仕事じゃない。

 死を考え出すほどに辛い仕事を辞めることは逃げじゃないと私は思う。責任感の強く真面目な人ほど、勇気を必要とする行動だと思う。心療内科にかかって鬱病の診断書をもらって休職するという手段もある。選択肢は色々ある。

 

  自分の場合、退職を決意するまでに半年以上かかってしまった。

 幸いなことに鬱症状は出てなかったけど、10代のころ患っていた過換気症候群が再燃し過呼吸状態が度々起こるようになっていた。

 このころは発達障害と聴覚処理障害と過換気症候群という三重苦を抱えながらも、やっとの思いで気力を振り絞って無遅刻無欠勤で仕事行っていた。誰か当時の自分を、現代のヘレンケラーとして表彰してほしいレベルで毎日血の滲むような労力を仕事に注いでいた。

 気づいたらストレスからタバコに手を染めるようになり、ニコチン摂取が欠かせなくなっていた。ごはんを食べるのも面倒になっていた。このままだとヤバいとようやく気づき、ついに退職希望の旨を師長に伝えた。

 

 自分の場合幸いだったのは、愚痴を吐ける相手や相談できる相手がいたこと、退職を迷っているときに「人生なんとかなるから大丈夫やって!病院辞めたら私が退職祝いしてあげるから!」と背中を強く押してくれた人がいたこと、鬱状態になってしまう前に退職という判断ができたことが大きい。

 どれかの要素が欠けていたら自分も危なかったかもしれない。だから今回の北海道の新人看護師の自殺も他人事と思えなかった。

 

 今回亡くなった新人看護師の村山譲さんは、30代後半で看護師になったという。あくまでこちらの勝手な憶測でしかないが、もしかしたら村山さんは、同期の看護師が若い女性ばかりの中で、気軽に愚痴や本音をこぼせる相手がいなかったのかもしれない。記事によると、家族にも辛いとか困っているとか話してなかったという。一人で辛さを抱え込み極限状態で死に向かってしまったのではないか。もしそうだとしたらあまりにも痛ましい。

 一昨日は第106回看護師国家試験の合格発表があった。今年も5万5000人の看護師が誕生する。どうかこれ以上、志半ばにして自ら命を絶つ看護師が出ないことを願うばかりである。

 

〈参考〉

 特定非営利活動法人自殺対策支援センターライフリンク http://www.lifelink.or.jp/hp/top.html

  「親の背中見て自分もなろうと…」新人看護師 わずか半年で自殺の“なぜ?“ 北海道釧路市北海道文化放送) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170327-00010001-hokkaibunv-hok #Yahooニュース

  ホッカイドウニュース:新人看護師が自殺 「お前はお荷物だ」労災認定されず 遺族が再審査請求 北海道釧路市

http://uhb.jp/news/?id=1446