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夢がなくて、金がなくて、彼女がなくて、仕事がなくて、アテもなくて、ツテもなくて、負けて負けて、泣けて泣けて、もう最低にだめでも

人生超楽しい教終了のお知らせ

 

 

このたび人生超楽しい教(以下略してタノシイ教)の活動を終えることを決めました。

宗教を立ち上げた経緯、活動のあゆみ、活動終了を決めた理由、などを綴っておきます。

 

まずは、タノシイ教の歴史の振り返り。

 

  • 1993年〜

人生超楽しい氏、生まれる。

 

  • 2013年 

当時大学2回生。課外活動を通じて他大学・他学部の人との交流が増えたり、各界隈を出入りしはじめたりしたのを機に、世界が急速に広がる。それと同時にこれまで見ないようにしてきた自身のマイノリティ要素について考えることが増える。これまでは「臭いものにフタ」で自分自身と向き合うことを避けてきたので、その反動が一気に来る。葛藤する日々が始まる。

 

  • 2014年初夏 

色々考えて葛藤を続ける日々。

そしてついに頭がおかしくなり、ヤケクソで「人生超楽しい!」という、感情とは真逆の言葉を連呼するようになる。

「人生超楽しい!」という呪文を唱えるのがマイブームになる。唱えまくってセルフ洗脳することで、一瞬だけ悩みが軽くなるような気がした。

また、人生は超楽しいと自身に暗示をかけることで、日々の小さな幸せ(季節の移ろいを感じられたとか、面白い本に出会えたとか、ぐっすりよく眠れたとか、今日も美味しくご飯を食べられたとか)に対するアンテナが高まっていったような気がした。

 

  • 2014年夏〜秋

「ジンセイチョータノシイ、ジンセイチョータノシイ・・・」と念仏を唱える行為が、周囲からカルト宗教的扱いを受けるようになる。念仏行為の真似事をする人が周囲に現れる。

 

  • 2014年秋

本格的に宗教化する。

『ジンセイチョータノシイ。この魔法の呪文を唱え続けることで、段々楽しくなってくる。辛いとき、苦しいときこそ、この呪文を唱えてみよう。唱え続けることで、心が幾分か軽くなってくる。』

この方針のもと、明るく健全に信仰活動を行う。

 

  • 2015年〜2016年

信者数が2桁に達する。

最盛期には16名もの信者を抱える。

有志の信者によって大阪支部、金沢支部、広島支部なども作られる。

信者の9割は、軽いノリでの入信、もしくは冷やかし半分での入信であったが、中には熱心なガチ信者も現れる。

ガチ信者からは「ジンセイチョータノシイって唱えていたら、ほんとうに笑ってしまって楽しくなる」といった喜びの声が寄せられる。

 

  • 2017年 

宗教活動ぼちぼち継続。

 

  • 2018年

宗教活動が衰退してくる。

 

  • 2019年 

宗教を立ち上げた当本人が、闇雲に自己暗示をかけるやり方に疑問を感じるようになる。

 

  • 2019年末

タノシイ教の活動終了を決める。

 

 

以上、タノシイ教の歴史紹介おしまい。

 

 

タノシイ教を終えようと考えるようになったのには、大きく2つの理由があります。

 

  • 理由1

タノシイ教の方針に疑問を感じるようになる。タノシイ教を立ち上げた当初は二十歳そこらの世間知らずの学生だった自分も、年を重ねていく中で、「そもそも人生って、常に楽しくハッピーなものじゃないといけないのか?」「悩んで、もがいて、葛藤する、それもまた人生じゃないか?」と考えるようになった。

 

  • 理由2

人生に詰んで藁にもすがりたいようなとき。宗教に救いを求めるのも一つだと思うが、まずは現実的な対処を取ることが最優先だと考えるようになった。

 

理由2についてもう少し詳しく書きます。

この部分については何かの専門家でもないただの一般人が、一個人の経験を根拠に物を言うのも恐縮なのですが、宗教活動終了に至った要素として大きなウェイトを占めているので、書き留めておこうと思います。

 

究極に人生詰んでいるとき。例えば「死にたい」「消えたい」という考えがちらつくとき。

宗教に救いを求めるのも一つだと思うけれど、まずは「とにかく休む」「今の環境から逃げる」「使える公的制度を使い倒す」などの現実的な対処を最優先すべきだと自分は思うようになりました。

 

以下は一個人の身の上話です。

 

自分は発達特性を抱えながらも、無理に無理を重ねて、一般人と同様に学び、大学卒業後も一般人と同様の環境で働いていました。それは並大抵のことではなく、人一倍努力を重ねても人と同じようにできなくて、頑張っても頑張ってもキリがなくて。それでも他に生き方の選択肢が思い浮かばないから、今の環境で頑張るしかなくて。健常者が眩しくて、羨ましくて。羨望を通り越して「健常者が恨めしい」という感情を抱いたことも一度や二度ではありませんでした。(今は、健常者だって万能じゃない、そもそも人間なんて誰もが不完全、ということを認識できています。当時の自分はかなり歪んでいたのです)

当時は「ジンセイチョータノシイ、ジンセイチョータノシイ」と唱えまくり、脳をハイにすることで思考を停止し、闇雲に健常者社会に溶け込む努力を続けていました。

今思うと無茶なことをしていました。

23歳、社会人1年目を終え、社会人2年目に差し掛かろうとしている時期、限界寸前に達します。

ホームを通過する特急電車を眺めているとき、大きな河川上の橋を渡っているとき、「今ここで・・・」という発想が頭をよぎってしまう。

これ以上、この生活は続けていたらヤバい。

そう判断したので、後先考えずに仕事をやめました。

それから色々ありましたが、今は合理的配慮の受けられる環境で働き、ぼちぼち穏やかな生活を送れています。

 

一個人の経験としては、宗教を通じて精神論で状況を乗り越えようとするよりも、環境を変える・環境から逃げる・公的制度を使い倒す、といった現実的な行動の方が効果的だったと感じています。

 

以上、理由1・2により、宗教の方針に対して疑問を持ち、タノシイ教終了に至りました。

 

 

かつて闇雲に「チョータノシイ、チョータノシイ、チョータノシイ」と唱えて信仰活動に励んでいた日々については、今振り返ると、そのときなりに前を向いて生きようと一生懸命だったのだなと捉えています。

かつての信仰の日々を否定する気持ちは全くありません。

 

また、人には本当に頑張らねばならないというときもあるかと思います。そんなときには自己暗示をかけて乗り切ることも一つの手段かと思います。

 

また、世の中には様々な宗教があり、熱心に信仰しておられる方がいらっしゃいます。心から信じられるものがある、自分の価値観の軸となるものがある、自分にとっての拠り所がある、というのはとても素敵なことだと思います。

 

今回はあくまで一個人が宗教活動を終える選択に至った話でした。

 

 

  • 最後に

信者でいてくだった皆様、遠くから生ぬるい目で見守ってくださった皆様。

心から感謝を申し上げます。

タノシイ教のおかげで、私の生活は楽しく彩り豊かなものでした。

今振り返れば、信者と共に「ジンセイチョータノシイ」を連呼する中できらめくような楽しい瞬間も度々ありました。

信者の方がタノシイ教をテーマに絵を描いてくれたり、ゆるキャラを作ってくれたり、書き初めをしてくれたりしたときはとても嬉しかったです。

5年半、本当にありがとうございました。